コクリコ坂から

コクリコ坂からで伝えたいこととは?切ないストーリーに隠された魅力や裏話も紹介

コクリコ坂から 伝えたいこと
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宮崎吾朗監督作品の第2弾、【コクリコ坂から】が2011年に公開され、昭和のノスタルジーな雰囲気や切ない恋物語が話題となりましたね。

1963年の横浜を舞台に目標を持って頑張る高校生たちや、出自の秘密に思い悩む主人公たちが描かれていますが、結局「伝えたいこととは何だったの?」と疑問の声も。

ぴよ吉
ぴよ吉
さらっとしたお話に見えて、実は色んな要素が盛り込まれてるんだね~

高度経済成長期がどんな時代だったかをちょっと知っておくことで見え方が変わるかもしれませんので、詳しくご紹介していきます。

また、【コクリコ坂から】の切ないストーリーやその魅力、裏話についても調査!

この映画の伝えたいこととは何だったのか解説するとともに、お話の主軸である2人の切ない恋のストーリーに隠された魅力や、あっと驚く裏話をいくつかご紹介します♪

 

【コクリコ坂から】伝えたいこととは?

【コクリコ坂から】を見て、作画や音楽は素晴らしいけど結局何が伝えたい映画なのかがわからない、わくわく楽しい気持ちになれず暗くて好きじゃない、という感想を抱く方も少なくないようですね。

そんな【コクリコ坂から】の伝えたいことは主にこの2つではないでしょうか。

  1. 時代に流されず自分の価値観を持つ大切さ
  2. 過去や古いものを大切にすることの重要性

この2つについて詳しく解説していきます!

 

伝えたいことは、時代に流されず自分の価値観を持つ大切さ

【コクリコ坂から】の舞台である1963年は高度経済成長期の真っ只中にあり、道路を走る見慣れない自動車、カラフルな煙を吐く煙突、手回しのローラーで脱水する洗濯機など今では見られないものがたくさん登場していますね。

これらの新しいものや生活様式、街並みは戦後の日本を短い期間で大きく変え、右肩上がりの成長をもたらしたといわれているんです。

ぴよ吉
ぴよ吉
若い世代にはあんまり馴染みがないかもしれないね。

新しくて便利なものが素晴らしいとされ、みんなが価値を認めたものに価値を見出していた時代。

劇的に移り変わっていく流れの中で、自分を見失ってしまうこともあったでしょう。

しかしそんな中で、主人公の海を始め、登場人物たちは自分の目標に向かってまっすぐな姿勢で向き合い、悩みながらも進んでいきます。

企画・脚本を担当した宮崎駿によると、観客が自分の青春と重ね合わせて見たり「自分もそう生きたい」と思えるような映画にしたかったとのこと。

ぴよ吉
ぴよ吉
青春時代の自分って恥ずかしいけどとってもまっすぐだった気がする~

古いものをただ捨てて新しさに目移りするのではなく、自分にとって価値のあるものは何なのかをもう一度考えようというメッセージを伝えたかったのだと思います。

 

過去や古いものを大切にすることを伝えたい

【コクリコ坂から】に登場する「古いもの」を象徴しているのは、コクリコ荘とカルチェラタンでしょう。

また、2人の恋の障害となったのは戦時中や戦後を生きた親世代の過去。

こうした古いものや過去は、埃を被って汚くなったら新しくしたいし、嫌な思い出は忘れたいものですよね。

ぴよ吉
ぴよ吉
今は物が溢れているからすぐ買い替えたくなっちゃう~

でも、海たち家族は古い建物であるコクリコ荘をきれいに手入れして下宿屋を営んでいましたし、カルチェラタンもお掃除によって歴史ある建物に生まれ変わりました。

また俊の出自についても、大変な時代の中で親世代の親たちがなんとか一人の赤ん坊を生かそうとした軌跡でもあるんですね。

新しいものや便利なものはもちろん私たちの生活を豊かにしてくれましたが、今までの生活を支えてきたものたちや、過去の積み重ねを見つめ直すこともまた必要。

親たちも含めて何重もの積み重ねがあった結果、今の自分があるという認識を持って、自分が本当に大切にしたいことや尊重したいことは何なのかを考えることができるわけです。

ぴよ吉
ぴよ吉
認識が広がれば、世界が広がる!

原作では80年代となっていますが、映画で高度経済成長期の横浜を選んだのはそんなメッセージを伝えたかったからかもしれませんね。

 

【コクリコ坂から】切ないストーリーに隠された魅力や裏話もご紹介

【コクリコ坂から】では、海と俊の切ない恋のストーリーが見どころでもありますね。

自転車に2人乗りして一緒にコロッケを食べたり、あだ名呼びで距離が縮まったり、キュンとするシーンが好きという声も。

ところが、2人の異母兄妹疑惑が浮上してからのぎくしゃく感は見ていて心が痛んだのではないでしょうか。

ぴよ吉
ぴよ吉
海が傷ついてる顔が切なかった…

それでも自分の心にまっすぐに気持ちを伝えるのが、青春の魅力でもありますよね。

また、【コクリコ坂から】の裏話について調査したところ「へぇ~」から「えっ!」まで判明しましたのでご紹介します♪

 

禁じられた恋?2人の切ないストーリー

小さなきっかけから一緒にカルチェラタンのお掃除に取り組むことになった海と俊。

自然と2人は惹かれ合っていきますが、なんと異母兄妹かもしれないという疑惑が!

素っ気なくなった俊にそのことを聞いた海は思い悩みますが、それでも好きでいようと決意した後は以前のように接するようになります。

ぴよ吉
ぴよ吉
誰にも相談できないのはしんどい…

自分の気持ちに嘘をついて諦めたり、ふてくされたり、自暴自棄になったりせず、正直でまっすぐな姿がとても魅力的でもあります。

疑惑が晴れなくても、これから先のことがわからなくても、今はあなたのことが好きなんだという気持ちを飾り気なく伝えることができる海の芯の強さに心打たれた方も多いのでは。

気持ちが通じ合った2人がさっと離れていくシーンも、爽やかで甘酸っぱい青春の一場面でした♪

 

裏話をいくつかご紹介!

【コクリコ坂から】の裏話を調査したところ、お話の設定豆知識から制作の裏話までいくつか判明しましたのでご紹介していきます!

ぴよ吉
ぴよ吉
原作漫画の設定も映画ではかなり変更してるみたいだよね~!

中には驚きの裏話もありますので、一緒にみていきましょう♪

 

フランス語で海は「ラ・メール」だからあだ名がメル

映画を見始めてかなりの方が「海なの?メルなの?どっちなの?」と疑問に思ったのではないでしょうか。

海がメルと呼ばれているのは、「ラ・メール(海)」というフランス語から。

航海の用語にはフランス語のものが多いからフランス語から引用したのではといわれています。

ぴよ吉
ぴよ吉
ラ・メールが短くなってメルになったんだね!

ちなみに「コクリコ」もフランス語でひなげしの花のことだそうですよ。

 

海のモデルは吉永小百合

実は【耳をすませば】の制作前、少女漫画を映画化するにあたって【コクリコ坂から】も候補に挙がっていたのだとか。

そのときは選ばれなかったそうですが、数十年経って【コクリコ坂から】の舞台である昭和にノスタルジーを感じられるようになったという理由で制作が始まったそう。

ぴよ吉
ぴよ吉
どっちも原作が少女漫画なんだよね。

監督の宮崎吾朗は1960年代を知らなかったので勉強し、そのときの人気女優である吉永小百合を海のモデルにしたのです!

原作では内向的な性格の海ですが、映画でははきはきとした性格の女性になっているのはその影響もあるのではといわれているんですね。

 

コクリコ荘とカルチェラタンは対比構造

きれいに手入れと掃除が行き届いていて、清潔で丁寧な暮らしをしている女の園がコクリコ荘。

埃が積もってもお構いなし、雑多で整頓されておらず、それぞれが好きなことに熱中している男の魔窟がカルチェラタン。

ぴよ吉
ぴよ吉
対象的なこの2つが対比構造になっているんだね!

実はコクリコ荘の下宿人である北斗さんは原作では男性で海に片思いをしていたのですが、映画では海の恋を応援する女性になっていましたね♪

 

計画停電に合わせて制作進行した

東日本大震災の発生時、スタジオジブリではまさに【コクリコ坂から】の制作真っ只中でした。

休業して自宅待機をするはずが、宮崎駿が「こんなときだから作るんだ」と声をかけ、計画停電に合わせて勤務体制を調整するなどして制作続行をしたのだとか!

ぴよ吉
ぴよ吉
制作がストップしていたら公開はもっと遅くなっていたかもしれないんだ!

完成試写ではそんなスタッフたちを激励するとともにダメ出しもしていて、宮崎駿のアニメーターとしてのこだわりや誇りが垣間見えました♪

 

まとめ

【コクリコ坂から】の伝えたいこととは何だったのか、ストーリーの切なさや魅力、あっと驚く裏話についてご紹介しました!

伝えたいこととは、時代の流れの中でも自分の価値観を持つ大切さと、過去や古いものを大切にすることの重要性ではないでしょうか。

そんなメッセージを伝えるためにも、高度経済成長期の横浜という舞台を選んだのかもしれませんね。

ぴよ吉
ぴよ吉
2人の恋物語もキュンキュンしてよかった~!

困難があっても逃げたり諦めたりせず、まっすぐに相手に気持ちを伝える海と俊。

大人になると考えすぎてできなかったりもしますが、青春の切なさや勢いを感じられて魅力あるストーリーになっていたと思います♪

また裏話もいくつかご紹介しましたが、個人的には海のモデルが吉永小百合だというのは驚きの事実!

観客が映画を見る日まで、制作側にも色んなストーリーが積み重なっていることがわかりましたね。